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  ...「香水」のこととか


 長く生きていると\(@_@;)/!自分の生きてきた時間を俯瞰出来るようになるなんて、つい2、3年前まで感じたことがありませんでした。
自分の..だけでなく、何十年来の友人とかのまでも。というのは、目の前のことに次々夢中で、振り返ってみるなんてことをしたこともなく過ごしていたからなのでしょう。

 周りもみんな人生の変わり目を迎えるなど、考えざるを得ないことが続くうちに、そうしたことに気づいたのでした。
 今まで、いろんなことがあったとしても、楽天的な私はかなり楽しく、充分に生きてきていると感じているのですが、ここに来て突然「あーあ、残念だなぁ、取り返しがつかないなぁ!」と思うことが出来てしまいました。若いうちにこんな勉強をしたかったなぁ、というものに出会ったのです。尤もそのことに時間を費やしていれば、別のことでそう思ったはずです。それが私自身のキャパシティなのですから。
さてそれは「香水創り」です。

 私はコレクションということをしない方ですし、だいたい所有ということに、なにか欠陥とも感じるほど意欲を持たないのですが――所有欲がないと言って、だから持たない買わないということではなく、手放すことを前提にしている感があります。自分と「物」とは別格(!?)ですから「自分の物」というものは理想的には何も持たないのが良い。ギリシャの哲人ディオゲネスや、イエむしろこの年になると旅上の芭蕉に憧れます。現実的には余裕があればホテル暮らしが最高。「ちょっと病気」と言われるくらいです。(だからといって、必ずしも家がいつも整然としているわけではありません(-_-;))/瑠璃風ノート、過去のエッセイ「ただいま旅行中」を参照してください

 と、そんな私がなぜか持ち続けているもの、コレクションの様な物がありそれが香水なのです。(と言っても、途中まではコレクションの意識がなく使い捨ててしまっていましたから、たまたまついでにもらった試供品のミニボトルとかが半分ほどですが...)

 昔々から、もしかすると子供の頃から、誰しもそうなのかもしれませんが、「匂い」と風景(と言うより、情景)が結びついて、思い出されます。
父が絵を描いていた部屋の匂いとか、一年に一度お雛様の代わりに登場する素焼き陶器の人形のちょっと埃くさいのに、涼しい?匂いとか、虫下しチョコの独特の香りとか、友達の家の、自分の家とは違う匂い(..がするということに気づいていた)のこととか、当時の春一番の日向の匂いとか...もちろん「良い香り」というものについては色々あるとしても、特別のエピソードとともにしか、花の香りなどは印象に残らないものですね。

 さて私が最初に香水に惹かれたのは、ゲランの「mitsouko」です。フランスに行くという方があり、お土産に何が良い?と訊かれて、そう多分すでにその頃香水が好きだったのです。でもその「ミツコ」からしか印象にありません。きっと初めての本物の香水だったのかもしれません。でもなぜかもう香りは憶えていません。それは18才の頃です。遠い遠い昔です。(-_-)zzz

 次に印象に残っている香水は、それより8年近くたって、私が初めてヨーロッパに行き、最終的にスペインで暮らすために旅立つとき、ある方が初めて創ってみたという「金木犀」の香水を下さったのです。
それは今思えば、大変なことなのですが、当時私はいろんな問題をかかえていて、忘れたいこともあったのでしょう。その忘れたいことと同時に進行した全てのことを忘れてしまうという不器用さのせいで、下さった方のことも、その方がどんなお仕事だったのかとか、全く憶えていないのです。ひどいですね。そしてとても残念です。ごめんなさい。今ならいろんなことをお聞きしてみたい。ただその素晴らしい芳香(後から、何倍にも希釈して使えるものだったとうかがった記憶もあります。)は今も忘れません。毎年金木犀が香りだすと思い出します。

 その後はヨーロッパに行くことも多く、フランスではニースに住み、グラースに友人が(香料会社につとめていた)居たりで香水は日常的に使うものでした。でも日本の日常生活では使いにくい場合も多く、次第に付けずに出かけることのほうが多くなりました。むしろ家にいて、自分の気分のためにアレコレを使っています。その時々でいろんなものを使いましたが、割りに長い間使っていたのはジャン.パトゥのジョイです。普段は高いので、コロンやトワレですが。

現在は気分によって4、5 種類を使っています。訳も無くその時々でですが。
               
 
...いよいよ「香水創り」

 原宿に「生活の木」という香りやハーブの店が出来てからでももうずい分の年月が経つと思います。(*−1)
その頃がハーブやアロマテ(セ)ラピーといったことがこんなに一般的になる初めの頃だったのでしょうか。
 現在では香りについての勉強がしたければ、この「生活の木」に限らず、あちこちで沢山の講座がありますし、資格、認定を受けることもできます。私のように、ただ愉しめれば良い、どんなものかを経験してみたいだけ、のための講座も。(でもその一つで先日思いがけずも、一つディプロマをいただいてしまいました。まぁそれがどんな意味を持つものなのかは分からないのですが、フランスの博士のサイン入り、ちょっとうれしくなりましたが..(^_^;)
――とても素敵な先生の、楽しい講座でしたのでちょっと遠かったのですが一度もサボらず通いました。)

 私のイメージの中にある「香り」の風景は、香りというのは―この場合「香水」ですが―何か非常に個人的で、秘かで、深い記憶と結びついた、あるいは激しい、あるいは静かな音楽のようなものの気がします。

 香りを楽しみ、自分の香りを創り出す。そうしたことは、言ってみれば芸術の世界です。ですがいろいろな関連の本を読んでいると、まずは薬学、化学などの勉強を若いうちにしている等という土台がないと、ほんとうの意味でのプロフェッショナルに成れるとは思えませんし、たとえ土台があっても、次にイメージの構築力そしてそれを表現する力が必要です。
これは教えてもらって直ちに得られるものでもなく、前述のように非常に個人的なものだろうと思いますし、何事も同じですが、センスの問題になるのでしょう。

 香りの一つ一つを色に例えるならそれぞれの単独で、綺麗な色、汚い色などあろうはずも無いわけですから、これはすごいことになってしまいます。「綺麗は汚い、汚いは綺麗」です。「青と赤を何%ずつ混ぜ合わせるとこんな紫になります。綺麗でしょ」というわけにはいかないのです。青と赤の透明度、濃度、明度、彩度そして%だけでなく、それが塗られた土台の質と広さ(面積)そしてさらに、それぞれの色に対する個人別の感覚、どんな状況の中で見るのか..
明るい陽射しの下で、夕暮れの光の中で..あぁ!何ということでしょう!そのようなあらゆる条件を踏まえて、そこからある普遍を取り出すのです。まずイメージを構築し、それに沿って、です。

 自分が何十年の間に、確かにこれを自然のこととしてやり続けていたのだけれど、これを新しいことに当てはめてみると、そうとてももう出来ることでは無い、という気になってしまうのです。
で冒頭の「あーぁ残念だなぁ、とりかえしがつかないなぁ!」となってしまったのです。
ですが!私が「香水創り」を楽しもうと思う時、唯一救いになる考え方が有るとすれば―この年になったことで、と言うべきかも知れません―自分の表現したいイメージを持ち、作業を通してそれに近づける為のノーハウは出来ているかも知れない、と言うことです。
これはですから、自分の仕事をチャント(^_^.)やってきた人なら、あるいは美味しい自分流サラダの作れる主婦、子供を育てた((^_^)/~)人 etc.みんなが出来る、そう、この年になってしまったからこそ、出来るものもあるのではということなのです。

 若いうちに始めていたら...そう、そうしたら香りのプロに成れたかもしれません。でも私は別のことを選んでしまった。ですから今はプロにならないでいいのです。それはまた、うれしい開放感でもあります。
本を読んだり、サンプルとしての香水や精油を手に入れたり(ちょこっとなら「大人買い」も出来るし(^_^.))しながらゆっくり勉強してみようと思っています。(*−2)
私がもうタイトルを決めてしまっている、幾つかの自分用の香水が創れるようになれば...。
その香りで、気持の良い大好きな時間の中に入り込めたり、未知が沢山在った頃の憧れの感覚やドキドキするような冒険心 etc.etc. に包まれることが出来るような香りを創れたらなぁ、と思っています。

(*−1)原宿の「生活の木」が現在のような店として始まったのは1972年の頃だそうです。6年ほど前にリニューアルして現在に至っているそうです。
(*−2)ここで一日体験コース「香水作り講座」というのもあり、参加してみようと思っています(*^_^*)。


 ページの音楽*moderato_cantabileより一部編曲抜粋
  「haishedis」:(俗名「悪魔の旋風」)












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