私のデジタル体験記―ホームページ製作まで
    
 
 私のデジタル体験記―ホームページ製作まで

 どこかで書いておこうと思いながら、いろいろな試行錯誤が続いているので遅くなってしまいました。
 昨年暮れも押し詰まっての30日頃に、初めてのホームページを試験的にアップロード。余り問題も無く動き始めたのは掲示板くらい。2008年の年が明けて、年賀状のお返事も今年は遅れて、寒中お見舞いとしてお返事がてら、ボチボチとUPのお知らせをしたものの、いろいろな不備があり、多分なんとか、大半の種類のパソコンでちゃんと動くようになったのは 2月に入ってからでしょう。

 私としては、不本意な部分がアレコレあるままの、見切り発車のせいでストレスが溜まったのでしょう、2月に最初の更新をした時点で思いがけずダウンしてしまいました。
グズグズといろんなことを考えている一方でメールや電話で(書き込みをして下さればいいのに(^.^))励ましていただいているうちに、―まあ、ともかく当面これでやっていって見よっ!と決意(^.^)したのです。

 私がこれを始めた時に「まさか!」と言う友人達がいました。そう、長年《アナログの代表みたい》な(と言った方があった)右脳人間と思われていた私だったからです。でも、そういう人は私を解ってない(*^_^*)。実は私も解っていなかったのですが...。

 !ここで一端話は飛びます\(◎o◎)/!

と言うように、これは思いつくまま書いていこうと思いますので、長くなるかも知れません。目的意識の強い方は少々辛抱してお付き合い下さい。



「私の左脳」の話

 今思えば、そろそろもう20年近くなるけれど、あぁ、この時に私のウトウトしていた左脳を刺激したのかもしれないと思うことがあるのです。
 それは余り何かに夢中になるということのない私が自分で不思議に思うくらい、突然に『銅版画』に夢中になり、取り組んだのです。銅版画(の中でも特にエッチングという技法)は、いろいろ危険な薬剤を使ったり、秒単位の時間を見たり、また温度、湿度の問題を常に敏感に感じながらの仕事です。
 こういったことが大切になる仕事は、もちろん、例えば紙漉とか、書の仕事とか、パン作りとかetc.etc.沢山あるのでしょう。でも私のそれ以外の絵の仕事では、通常、上のことはほとんど問題になりませんので、エッチングを通して初めて細かい製作ノートが(手順、時間、温度などを記し、結果を記す)重要になりました。
 ところがそれが、思いがけず私にとって、とても楽しい作業だったのです。左脳が本当は働きたかったのに、それまで出番がなかったかのように。
                                    












前回までのぺーじへ

 デジタル体験記−2

(ここはデジタル関連に興味のない方は、ザット通過して下さる方が無難かも(-_-;)。)

私とデジタルの歴史!その1―ワープロからパソコンへ

 2001年に<windowsXP>が登場した。その大分前からパソコンということを考えないではなかったのだけれど、それ以前にも小さなギャラリーをしていたにもかかわらず、必要にせまられてやっとFaxとかコピー機を入れたりが精々。ですが、ワープロとコピー機があれば、本も作れましたし、私にはワープロがあれば充分用が足りていました。
 でもXPが出た頃にはワープロの存続も少しあやしくなりかけていましたので、この辺りで切り替えておこうかとワープロのヴァージョンアップのつもりで、2002年の春に購入することにしたのです。

 丁度、秋に自身の個展を予定していて、いつもワープロなどを使って案内状も自作していたのでそんな機会を利用すれば覚えられそう!と言うモクロミ。 (これは当たりました。!(^^)!)
 それまでにいろいろパンフレットや実物を見て検討はしていたけれど、画面の綺麗さ、持ち運べる事、やりたいことはコレコレということで、後はヨドバシカメラ(この時は)の店員さんに従って買いました。シャープのメビウスノートです。

 このとき今ならウンザリ、ゾッとするのだけれど、いわゆる「タチアゲ」を自分で取説を見ながらしたものです。
ゾッとはするけれど、これが後々のトラブルの際に役に立ったのですが。

 さて、でもこの話の中の以下の二ヵ所が「後の大失敗」に繋がるのです。
その1―ワープロのヴァージョンアップのつもりしかなかった。
その2―シャープを選んだ(これはシャープ+その1の事情のせいです。)

 実はワープロとしてしか使う気がなく、その時点では全くインターネットということに関心がなかったので、I.N.に繋がなかった!のです。
ともかく買って、たちあげて、ワードにやっと慣れて..。
 それまで日立のワープロを使っていたけれど、字体や字間などが気にいっていて最初はワード(microsoftのワープロソフト)の場面も文字も全く気に入らない。しかもアーも出来るコーも出来ると、一つ事をするのにいろんな方法がある。無駄なものが沢山残ったままでヴァージョンアップされている。整理魔の私としては(これについてはまた!)耐えられない仕様でバカバカ!と(パソコンには聞かせられないので、離れた所で(^_^.))悪態をつきながらの出会いでした。でもなんとかその夏に手描き風地図入りの展覧会案内状を作り、気付いたらやっと慣れていたのですが...! 

 その2―インターネット

 パソコンを買った時、ポイントでデジタルカメラ(オリンパスの200万画素―当時は充分と言う感覚。まあ私の腕では今でもそれ以上あっても (-_-;)...ですが)とプリンターが買えました。(当時はポイントがそんなに付くほど、パソコンも高かったのですね。)
 デジカメはカメラとしては画期的に楽しくて、暫くは散々歩いて街の写真を撮りました。
 そんな風にデジタル生活が入り込んで来ていても、私はまだ携帯電話も使っていなかったのですが、やむを得ない事情をキッカケに仕方なく持つ事にしたのです。

 でもこれは今思うと、HPに繋がる次のステップになりました。ケイタイメールのやり取りをするようになったのですが、オバサンというのは「何時、どこで」「はい、了解」とはいかず、うっかりすると季節のご挨拶から始まってしまう(*^_^*)。となると、ご存知のように<jis>でないので大変!
 そうこうしている時、「エッ!パソコンと言ってもインターネットしてないの? それじゃ90%使用してないようなもんですよ。」とおっしゃる方があった。
 そうIさん、あなたです。(^.^)
―確かになぁ。と言う気持ちと何かそんな風に言われて、ちょっと悔しいなと思ったのと、世は「光」による無線ランになっていたので、それではと、いよいよインターネットに繋いでみたのです。

 それが、2005年。

 ですが、このI.N.体験は結局3カ月で終わってしまう
のです。それが前述、その2−ワープロから..の章の
「後の大失敗」。

.パソコンを買って3年経っていたのです。使い出して やっと3ヵ月。なぜかある日突然、マイクロソフトのウィルス対策の更新が止まらない勢いで次々と入り始めたのです。多分3年分が一気に。そして「再起動してください」でクリック。途端に真っ暗になったきりウンともスンとも...私の不幸な気分をご想像ください。(-_-;)

.これは後に分かった事ですが、シャープとマイクロソフトのサービスパック2というウィルス対策ソフトの相性が悪く、(3年前のには予め入っていなかったので)壊れた例が多々ある、噂の―「SP2+シャープ」だったのです。   

 さて、ウンともスンともならないパソコンがまた使えるようになったのは、これも前述の自分で「たちあげていた」ことが幸いしたと思っています。マイクロソフトの無料電話サポートで直ることがわかりもう一度、ウンザリの作業で取り戻したのです。
ですが、その時はウィルス対策をするに必要なファイルは壊れてしまっていたので、I.N.は外すしかありませんでした。また以前のワープロに戻ったのです。

で、なぜHPに行き着くか?については。    つづく   

  新しいパソコンでホームページを作ろう!

 2006年の秋に、気持の良い環境にある広目のギャラリーで久しぶりの新作の絵の個展をしました。思いがけない程の成果もあり、うれしい、素晴らしい一週間が過ぎました。
それだけに全てのそれに伴う作業が終わると、ホッとすると同時に一時、空の巣症候群?のようになってしまうのです。

 ですが、さて頭の中にその会で出し切る事の出来なかったイメージの、シッポの様なものが膨らみだしてしまうともう後戻りが出来なくて、それが次に繋がっていく。
 制作期間がほぼ終りにかかると、会の準備などの時間も沢山必要なのだけれど、そんな時、むしろ繋げる為に頭の片隅に次のイメージのカケラを溜めている、ともいえるかも知れません。
 制作は時間切れで、収束しないといけないのだけれど、まだ頭も心も終わらない、と言ったところでしょうか。

 そう今まではそうしてきたのです。
ですが、この時は「展覧会はもう最後」と(疲れてしまって毎回思うのだけれど..(-_-;))絶対サボるぞと決意。!(^^)!

 展覧会に繋がらない自分の仕事だけを、といろいろ整理したりしているうちに、フト、―インターネットやっぱり要るなぁ。と、なり2006年の暮れに、また光の工事をし、
でも今度は、安い東芝のノート<dynabook>を買いました。
 その折、今度はBICカメラで「全部セットして電源入れれば使えるまでにしていただけます?」といったらその通りに!そしてインターネットのセットアップも、マイクロソフトの方にお願いし、まあ後は前回の経験がありますから使い始めることが出来たのです。

 メールを通してお友達に沢山の刺激をいただきました。綺麗なものが見れる、聴ける数々のサイト!
 そしてある日 youTube で私は昔むかしの恋人に出会ったのです\(◎o◎)/!
 それは'72年に初めてスペインに暮らした時に、ずっと聴いて口ずさんでいて、風景と共にその時期を思い出す音楽の、アーチストのビデオでした。

 ここでまたちょっと..
 Joan Manuel Serratのこと。

 今でも―というより今では、と言うべきか―スペインで人気のこの Joan Manuel Serrat はカタロニア地方(スペインの地中海側の北部、バルセロナを中心とする地域)出身の男性歌手。'72年当時、スペインはその末期とは言え、まだフランコ総統の独裁政権下にあり、(先の大戦前から36年続き、'75年にフランコの死、とともに終わる)カタロニアの自治もなく、カタロニア語(カタラン)が旅行者の耳に入る事すらありませんでした。
 そうした環境でのことです。'72年当時私が買ったカセットテープもその後すぐに発売禁止になったと聞きました。

 後に('85年)行った時には、この地域のどこでも、普通スペイン語といわれているカスティジャーノ(マドリーを中心とする)と、このカタランが同時に表記されていたことに、感慨をおぼえました。(*参:大内聰矣著「アンダルシア讃歌」毎日新聞社刊)
 そして...!
私にとっては、そのカセットテープとその表紙の顔写真しか知らなかった Joan Manuel Serrat の'74年からの舞台ビデオを見る事ができたのです!
 このyouTubeというのは誰でもUP出来るようで、うっかりすると、とんでもないものに出くわすので、注意して見る必要がありますが...。
でもこのSerratに関していえば現在に至る沢山の素晴らしい(私にとっては(^.^))ビデオを見る事が出来ます。ですけ
れど、通して現在まで見てくると、今もヨレヨレの!(^^)!良い感じのおじいさんになっているのはとってもうれしいのだけれど、共に過ぎてきた、我が時間も感じられ、つくづくと切なくなるのであります。(*_*;
 で、つい最後はいつも'74年の素敵な頃の彼のビデオを見ながら「メディテラ〜ネオ〜♪」と一緒に歌いながら閉じるのです!

 さて、他にも色々刺激を受けているうちに、youT を見ていると、語学の不足が残念になってきます。フランス語もギリシャ語も英語も全部半端。せめてSerratのページに書き込み位したいなぁ、と無謀なことを考え始め、記憶を取り戻すために、6ヵ月ほど、日本スペイン協会に(30年前以上前にここで勉強しました。)通ってしまいました。まだ書き込みはしていないけれど。(-_-;)
 スペインにいる友人が私の持っているカセットと同じ内容のCDをテキスト付きで送ってくれて「Tさんホントにうれしかった!あらためてありがとう。あなたもファンだったとはね(^^♪」...
やっと何十年ぶりかで、モヤモヤだった言葉が分かったうれしさ!(聴くだけでは本当に難しいですね。詩も難しいですけれど。)

 そんなこんながどうしてHPに繋がるかですって?
そうでした。ではそれはまた...    つづく

 どうして「ホームページを作ろう」などということをかんがえたのか、今では定かではないのですが。(きっとそれ程に、いい加減なキッカケだったのです。)

 ここでまたブレイク..(^^♪

 昔の思い出に浸るなどということをまず、したことの無い私なのですが、その年(2006年の暮れから2007年前半)なぜか、古いことに関わる事が次々に新しい形で刺激としてやって来た、と言ったら良いでしょうか。
 ずっと絵を描くことを中心にして過して来たこの間までの私には、やりたかったけれど置いてきたことがいくつもあるのです。 (きっと皆そうなのですね、定年退職して初めて...とか。私の場合は優先順位にそってやっていると、キャパシティの問題で他のことに気がいく余裕までなかったと言うべきですが。(-_-;))

 その一つにパンを焼いたり、ジャムや保存食を作ったり、ということがありました。若いある時...そうしたことを大切にしての静かな安定的生活、の方向を向いていた生き方を突然切り離して、別の生き方を選んでしまった私ですが、ここに来てまた突然、そこからの生活を始めて見ている気がすると、この瑠璃風ノートの始めにも書きました。
前述の展覧会の折に、我が家の古い友人の奥様に、手作りのパンとジャムをいただき、―あぁ、いいなぁ。と幸せな気持を思い出しました。

 そして、そう、お友達がメールを通して、いろんな刺激を下さった、その中に面白い、美味しいレシピも(これは特にNianto-6さん)書いて下さったり(頂くことも!(^^)!)しているうちに、―よし!パン作って見ようかな、と。
そしてその時初めて気付いてみると、何十回引越しをしていたにもかかわらず(ある時は荷を預けもしたとはいえ)パンやジャム作りの、料理のあらゆる楽しい本(今では手に入らないようなのも!)の数々、そして何と道具までもがほぼ全部揃っていたのです!

 始めて見ると ―私はもしかしたら天才かもしれない
\(*^_^*)/!と、例によっての楽天家。(ビギナーズ・ラックと言うのは確かにあるようです)
 そしてそれは不思議にも'70年代を(私の若い頃につながる)振り返る事に(自分の個人的な思い出ということだけでなく)なっていきました。いろんな言語にも再び接して、辞書を引く毎日を過したりしているうちに言葉遊びを始めたり、サイトを通していろんなものを見ているうちに、写真も撮ってみたりとなりました。

 この写真はデジカメをやめ、たった120万画素のケイタイで、歩く度にメモがわりに撮りだして、楽しいので320万画素というケイタイに替えたとたんに、まるで上手く撮れません。(研究せねば...(-_-;))
 そんなことをしているうちに、―そうか、ブログとかしてみようかな、とフト思ったのです。

  そう、ブログにしておけば良かったのです。

 ですが、そうそう発信したいものが長続きするとも思えず..と、この段階に後の、((*_*;というより、現在の)この私の思考混線状態が発生したのです。

 よし!それならやっぱり企画ギャラリー型にしよう。
HP!♪ ところで、ホームページというのは私にも作れるものかしら?と、まあ、このような流れだったと思います。
 HPで何をしたいのか。
その根本が無いまま\(◎o◎)/!なんて今考えると信じがたいのですが、知らないことばかりだったので出来たのだと思います。
 私はそれまでの仕事では、例えばデザインをして発注する種類のものでも、自分で先ず見本を作って見るという言ってみれば職人。(そうアナログの代表みたいな...)ですから自分が手触りも知らないで物を作るなんて事が一番苦手。そのために、何かあっても原因も判らないのでは怖くてと、車の運転もしなかったのです。
 コンピューターは事故にあってもまず死ぬことはないから良いようなものですが、おかしい時に原因が解らないままなんて言うのはどうにも不安。(だから今も不安(*_*;)

 にもかかわらず!です。この時なぜか「見切り発車ができなくては、何も出来ないままよ。」と悪魔がささやいたのです。(-_-)

 はい!やっとたどり着きました。
 いよいよホームページをつくります。

そうは言っても、どこから始めたものかも分かりませんし、HPの仕組みさえもキチンと知らなかったので、(今も(-_-;))ハードの面からも(容量とかも..)、セキュリティの面からもサポートをしていただける方をと友人に専門家(C-aidの奥原氏)を紹介していただいて、まずはパソコンのメンテナンスから...。
古いメビウスの方も容量を増やしていただき、ランカードでI.Nにつないで使えるようにしています。(というより主に保存用と、写真の作業用にしていますが...)
 おかげさまで、大切なウィルス対策や契約などのことは安心してクリヤー出来ました。

そして、2007年、秋の初めにIBMの「ホームページビルダーV.11」で作り始めたのです。

 ところが始めた途端すぐにその方が異常にお忙しくなり、まあそれが私には、幸か不幸か、結局ビルダーを自分でいじる羽目になりました。(本当は私は見ているだけで、作ってしまっていただきたかった。\(◎o◎)/!)
「Flash」というおまけがついていて、遊べます。(トップページの文字が風に吹かれたり、絵が下がって来たりする部分。)でもこれは辛うじて覚えましたが、まだ自由にスムースに使えるところまで行かない内に、ちょっと興味を失っています。(モッタイナイノデまた時間のあるときに勉強してみようとは思っていますが。)
 
 二ヵ月も同じような画面を「あーでもない、コーデモナイ」といじっていると..

そうここで、またちょっとブレイク!                                  
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 まず画面を作っていて私が感じた一番最初のことは、当ったり前のことなのだけれど、アナログで色をつけることとの大きな違いでした。私は色を作ることを、とても楽しんできていたわけですが、自分の作品をビルダー上に出しておいて、そこから色を抽出するのだけれど、各色が並んだ時に、まるで違うものになってしまう。
 それは、アナログなら色の重なりの作り出した色なので微細な変化で奥行きが(たとえパソコン画面上でも)あるのだけれど、抽出したときには一点から取るので平板な一色になってしまう。混色でなくても、筆ならば濃淡が出る。
 最初の難関でした。
 これは一から「パソコンで色を考える」しかないと知りました。自分の作品を土台に作る方法もあるとは思いましたが、容量の問題もありましたし、なにより今までの方法を離れて、作って見たい。という思いが強かったのです。
 ですから、少しくらいいじっていても、納得できるようになるわけがありません。

 で、二ヶ月以上も..ということになり、いい加減、思う様でもないし、あきてきて―もう止めちゃおうかな、なんて思い始めたのです。
 そこに 文 星紀さんより素敵な音楽が届いたのです。
 こちらもお忙しい方なので、お願いはしてあったけれど私の順番は半年後かなと覚悟していたのに、すぐにかかって下さっていたのです。これはうれしいこと。では兎も角、まとめようと、12月に入ってからです。形を決め、取り敢えずは当初の予定通り、12月の20日頃UPとしました。

「透花」の占いの窓は奥原氏が引き受けてくださるとのことで、とっくに原稿をお渡ししてあったのですが、前述のように異常にお忙しいので、では私が、と思ったら、とんでもない! これは <java> という、またまるで別の言語での作業、私には全く手の付けられないもののようで、(ということをこの段階で知って…と言った様な、お粗末\(◎o◎)/!)
 で、お忙しいので大晦日に徹夜で?作ってくださった模様。お年賀状でお知らせをするべく用意をしていたのですがそれは反故になりました。ですが、そんなことより、本当に大変な思いをお掛けしたらしいということが解るにつれ、これは私にも実はすごいストレスになってしまったのです。解らない事だらけで、見切り発車をしたバツですね。

 予定は遅れましたが、取り敢えずUPして以降、多分2月に入る位まで、様々な不備が続きました。また違うパソコンですと、使っているソフトもヴァージョンも違いますし、とくにMacでは、とても見られない状態でした。それらを私はもちろん(イバルナ(^.^))調整する事なんて出来ません。それをしていただいて、なんとか多分、多少のずれなどは出ていると思いますが、一応綺麗な状態で見ていただけるかな、となったのは2月に入った頃。
 年賀状のお返事の、寒中見舞いを兼ねてのお知らせをしました。(ですので、お年賀状をいただいた方だけ..でした。m(__)m)ですが、こうして中身がまるで解らないものをいじらなければならないストレスで2月1日に更新をした後に、思いもかけずダウン。デジタル疲れというより、やはり自分で解決できない事が多すぎるというのが私には一番のストレスなのだと気付きました。
これは今日に至るまで解決していない問題ですが。

     

 でも慣れるということはあり、それ以降、新しいページを作ったり、動かしたり、リンクや検索登録、更新、掲示板など、特に問題なく進めてはおりますけれど、実は落ち着いたところで、いよいよ少しイメージを改装したいと考えているのですが...。
(気に入る状態まで気軽に作れないまま、そう、やっとのもので始めてしまった。でもほめていただくので、―マッいいか!と例によっての楽観でなんとかここまで(^.^))
 ですがレイアウトなど変えたい部分も沢山あったりしますが、この「把握できない部分」に対するストレスを引きずったままでどこまで我慢できるのか、今ちょっと不安になっているのです。

 それに最大の問題は、やっと少し今になって、自分がしたいことが分かって来た(出来ないかも知れないということも含めて)ということなのです。
 というよりも商売でない「個人HPというもの」が価値を持つとしたら...ということを他の方のHPから学んだ
気がします。

 ここにいたるまで、私のしたかったことは、とんでもないことですが、ホームページというものを作って動かしてみたかった、ということ。発信の内容よりもヴィジュアルな面で「作る」ということに、関心があったのではないかと今になって思うのです。  \(◎o◎)/!

 ですから、始まりはここからなのです。そして企画ギャラリー型との思いは変わりません。

 私一人では充実したページが作れるとは思えません。ぜひ「言葉」や写真や楽しい情報など、お寄せください。
 
 「〜遠くからあなたの声が聞こえる
         始まりはいつもこんな風に〜」


 まだしばらくモタモタしますが、おつきあいください。

「私のデジタル体験記」今回はこれで一応終わります。
 ありがとうございました。

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